明神丸
南納屋町
安永年間(1772~1781)の記録に「鯨つき」の名が見え、享和3年(1803)に刊行された郡山藩士城戸賢公の漢詩集「東歸稿刪」にある「己刺巨鯨拝天行」が鯨突きと考えられる。当初は粗末な船であったといわれるが、文政年間(1820頃)には豪華な鯨船の形式が整い始めたのではないかと考えられている。
現在の明神丸は、舷側に江戸時代の彫刻(幕末の画家、森赤菌が下絵を描き、瀬川篁村が彫る)、黄金造りの屋形、舳の金糸の大総、綴錦の旗印、赤地に金糸で二見の夫婦岩が縫いこまれた胴幕がさがり豪華な装飾の船山車である。これらの装飾類は戦中に疎開していたために災禍を免れたが、船本体は戦災にあい、昭和22年につくりかえられたもので、全長約9m、艫幅0.68m、最大幅2.3m、艫高1.45m。三重県の有形民俗文化財に指定されている。
町内の人々は、太鼓打ちや櫓漕ぎ・捕手・支え手に扮した稚児の乗る船を操作し、その前を二人が被ったハリボテの鯨が逃げ惑い、流し唱・突き唱に合わせて、勇壮な鯨突きの所作を披露する。その所作は、鯨の発見・追撃・逆襲・仕留めから構成されている。